時をかける少女
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『時をかける少女』は今までに幾度も映像化されており、テレビ作品として4本、映画作品としても(アニメ含めて)4本目に当たる。
作品としては、背景にタイム・トラベルやテレポートといったSFガジェットを盛り込んでいるものの、その核は
- 決して添い遂げることのない男女の出会いと別れ
- 何でもない日常の背後にセンス・オヴ・ワンダーは存在する
の2点に集約されると思う。
前者は、古来より語り継がれた『かぐや姫』『浦島太郎』などと同じく、現実世界と異郷に住む男女が惹かれあいつつも別れを受け入れる日本人的に崇高な物語である。
後者は、作中人物視点で考えれば、作品で起きた事はすべて忘却の彼方へ消え去っており、作品の最初と最後の間には何の経験もない時間が横たわるだけであるが、我々観客視点で見れば、時間遡行と帰還、未来人との邂逅といった不思議現象が盛りだくさんである。
それは視点を変えれば、我々の何もない日常生活の裏側には、実は血湧き肉躍る大冒険が起きているのだが、単に記憶を消去されているのではないかという想像を生む原動力ともなるわけだ。
あふれる自我をもてあます青少年に受けるわけだ (;^ω^) .。oO(じゅぶないる作品だからの
で、今作は、薬学研究者として生きる芳山和子(離婚)の一人娘である芳山あかりが時間移動を行なう。
かの事件から2年後(1974年)、実の娘であるあかりと遭遇した和子は、ケン・ソゴルの手により完全に消されていた記憶をかすかながらよみがえらせてしまう。
そして36年後の現代、薬品研究者として生きている和子は、38年前から抱いている強迫観念により、21世紀人としては始めて、単独で時間遡行薬を作り出していた。
彼女は38年前に起きた記憶にない事件の真相を探るため、時間遡行を計画していたのだった。
しかし、その彼女の元に、ケン・ソゴルが名を借りていた深町家より一葉の写真が届く。そこには芳山和子と深町一夫の2人が映っていた。そしてラベンダーの花が…。
この写真により、失われた記憶が喚起された和子は交差点を渡る途中で事故に遭い、昏睡状態に陥る。
和子を見舞ったあかりは、一時的に目覚めた和子が時間遡行を計画していることを告げられる。尋常ならざる母の態度に圧され、やむなく自身が過去に赴くと約束する。
かくて、深町へのメッセージを託されたあかりは、半信半疑ながら母手製の時間遡行薬で、はるかな昔に向かうのだった…。
母の指定した1972年ではなく、うっかり2年後の1974年に… (;^ω^)
まあ、よく出来ています。当時の世相をよく表現しているし、未来人と時間遡行の設定的整合性も高い。
不満は誰もが(?)抱くだろう点。
なぜ、芳山和子が安田成美? 普通(?)、原田知世だろ、JK
この映画を成功させたかったら、万難を排して彼女連れてこなきゃダメだろ。てか結局、この映画成功とは言いがたいから、その辺の求心力がないってことだろなぁ。
金持ってるおっさん釣らなきゃダメだって (;^ω^)
そしてもうひとつ。仲里依紗がダメ。
なんかね、2010年風の女子高生をうまく演じているというべきか、この娘の地なのかは知らないが、笑った時の笑顔が汚いんだよな。口元がゆがんでるでしょ、アレ。
下卑た笑顔というか、育ちの悪さが際立つというか、止め絵では可愛い分、動いたときのガッカリ感がハンパない。
さらにいきものがかりがダメ。エンド・タイトルにお前らの曲は要らない。聞いててどっちらけもいいとこ。
おまえらの曲は挿入歌で、エンド・タイトルには主題歌使えよ。
作品全体は佳作。主演女優/主題歌で駄作というところ。残念。
製作総指揮 | |
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製作 | |
原案 | 筒井康隆 |
脚本 | 菅野友恵 |
監督 | 谷口正晃 |
観終わった時、新井素子の『絶句…』のオチ(何もなかったことにする)に似ているなとか、『L Change th World』のわびしさに似ているなとかも思った。