『ホムレット村、第4版』の製作者ノート

 RPGAのDMだけに配布されるといういわくつきのシナリオを、さる方のご好意でデータなどなどを戴いたので翻訳したのだが、その製作者ノートがおもしろかったのでそこだけ掲載。

 最初に、私は告白しなくてはならない。私は『ホムレット村』を買ったことがないのだ。


 私は1981年にD&Dを始めたが、その時点で(少なく見積もっても)選択肢に入る冒険は数多くあった。私の若者らしいDM精神は、村などではなくダンジョンを求めたので、それに目を向けようともしなかったのだ(ジェフ・ディーの描いたグールの表紙は魅力的だったが)。


 しかし1985年に『元素邪霊寺院』が発売されたとき、私は次のD&Dキャンペーンの地盤に使えると思い即座に手に入れた。私はチヌークの中学校に毎日それを持って行き、何週間にも渡り勉強の合間に読み込んだ。私はノードの詳細版を自作すらした(それは未だに「ゲイリー・ガイギャックス、フランク・メンツァー、そしてアンディ・コリンズ」と書かれたプラスチック・バインダーに差し込んである)。そしてもちろん、ゲイリーが示唆したとおり、私の名前は村民の一員として加わった。


 私のゲーム仲間は、未だにそのキャンペーンの思い出話をする。我々はハーフリング・シーフのラジー(訳註:敏捷の意)が、自らダンジョン探検中に罠にはまって手首を切り落とされたことを覚えている(私の兄のグレッグが、他のキャラクターのための“クリスマス・プレゼント”を見つけようとしたのだ)。我々は騎士ブレイゴンが、スケイザーという話をする剣と共に敵の海を切り開いたことを覚えている。けれど、すべての中で我々が最も覚えているのは、ダイスを転がし、ロールプレイし、そして大笑いをして過ごした、数え切れない時間だ。


 あなたが長い時を経て帰還したにせよ、あるいは初めて村に訪れたにせよ、ようこそホムレットへ。・・・そして、ジャイアント・フロッグに気をつけろ。


‐ アンディ・コリンズ


 いいね、こういう思い出話 (^ω^)


 いつか私も、こういう話ができるようになりたいものだ… ( ゜ω ゜) .。oO(罵声は受け付けません