ガッチャマン(2013)

 俺が見えるか、悪党ども。実体もなしに忍び寄る、白い影が!


 人類にはごく少数だが、かつて研究され封印されていたX遺伝子と呼ばれる、人類の能力を拡張する遺伝子(ウィルス?)に適合できる者がいる。
 その遺伝子が陽性の者をギャラクターと呼び、陰性の者の中から“青い石”に適合する者をガッチャマン呼ぶ。


 ギャラクターの頭首は代々ベルク・カッツェを名乗る。二代目ベルクカッツェは300名にまで増えたギャラクターを率い、その無敵ともいえる能力を駆使して、わずか数日で欧州を中心に世界の半分を占領した。
 そして時は流れた。ギャラクターの魔手はついに東京にまで及ぼうとしていた。


 幼馴染であるケンとジョー、ナオミは適合者であり、彼らは訓練を受けて対ギャラクターの代行者として欧州で戦いを繰り広げていた。とある難民救出作戦の最中ジョーとナオミは婚約するも、直後に起きたギャラクターのナンバー2イリヤの襲撃、そしてケンの失策によりナオミは行方不明となる。
 ケンとジョーは袂を分かち、ケンは東京で新たなチームを結成することになった。メンバーはジュン、ジンペイ、リュウ




こっから本編




 東京で科学会議が開かれた。それを襲撃するギャラクター。そして迎え撃つガッチャマン。危機に陥ったジンペイを、東京に派遣されてきたジョーが助け、ガッチャマンは5人揃う。
 そのころ、科学者のひとりカークランド博士が、人工衛星からの対地攻撃兵器を完成させる。この殲滅兵器によりヨーロッパをギャラクターの手から解放しようというのだ。
 その情報をつかんだギャラクターは、ベルクカッツェ自らがギャラクターナンバー2の亡命を演じ、兵器を奪取すべくカークランド博士の誘拐を試みる。
 ジョーの加入により揺れるガッチャマンは実力を発揮できず、また当代ベルクカッツェが行方不明のナオミであることを知ったジョーはX遺伝子を感染させられてしまい、カークランド博士は誘拐される。
 殲滅兵器の制御を奪われたガッチャマンは、実験機ゴッド・フェニックスを出撃させ、ギャラクターの移動要塞に向かう。
 要塞内に肉迫したガッチャマンは、かつて愛したナオミ=ベルクカッツェを倒し、殲滅兵器を破壊するのだった。
 しかし、ジョーを蝕むX遺伝子は、彼をギャラクターに作り変えようとしていた……。




 な、そんなに悪くないだろ? 何がどうしてこうなったのか…… ┏( ゜ω ゜┓)┓




 思うに、日本の映画は江戸時代から変わってないからではないかと思う。いわゆる看板スターを立て、物語の中身ではなくスター主体で興行する方式。
 だから予算の多くは出演料に消え、製作に使われることはない。いきおい、予算の少ないセットやCGがしょっぱくなる。
 またいわゆる“売れっ子タレント”を使うため、十分な練習も積めず、専門的にアクションも仕込めず、映像としたときに見劣りすることになる。
 あと日本人的な感性だと思うのだが、どうも1作目は“1話”を作らないと気になるらしい。ぶっちゃけチーム結成編なんて観なくてもいいんだよな。完成したチームが無双している方がおもしろい。だから映画には“20話”とかに位置する熟成した話を作ればいいのだが。このへん初期ウルトラ・シリーズの「第2話から撮影し、キャストが慣れてきたら第1話を撮る」という手法は見事だと思う。


 今作は脚本的にはどうにかこうにかだが、演出面でしょんぼりする出来だった。
 世界の半分が侵略されているとは思えない平和な街中、敵が来てもいまだ街路をうろついている市民、平常に走る電車。対人兵器で大型兵器と戦う兵士、基地内で何をしているか不明な技術者。ハッキング・シーンはムダに煽る。今そこにいるべき人物が、今そこにいない理由をでっち上げることもなく、単に登場させないだけ。


 「神は細部に宿る」というが、ここには神はいないのだ。


 「2」を想定して話が作られているのがわかるし、設定面ではかなり考えられていることが伺えるのだが、ダメだろうなぁ。。。。