ケツァルコアトルについて 『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』より転載

 ケツァルコアトルは、12世紀頃に南下してきたチチメカ人が、14世紀の中頃にメキシコ中央部に建設した国──ヨーロッパ人がアステカ帝国と呼んだ都市国家で崇拝された、主要な神の一柱である。アステカ以前にこの地域にあったトルテカ帝国の神がその原型で、ナワトル語で「ケツァル(羽毛の生えた)」「コアトル(蛇)」を意味する。

 全身もしくは頭部に羽毛を生やした蛇の姿で描かれる「羽毛の生えた蛇」は、オルメカ文明の時代にまで遡るメソアメリカの古い神霊で、紀元200年頃には都市国家テオティワカンに羽毛ある蛇の神殿が築かれ、落成時には200人の生贄が捧げられたという。

 ややこしいことに、「ケツァルコアトル」という言葉は、トルテカ時代には王や祭司、軍人の称号としても使われた。そして、実在のケツァルコアトルたち──とりわけ10世紀トルテカの伝説的な祭司王トピルツィン・ケツァルコアトルの事績もアステカの神話に取り込まれて、この神の多彩なエピソードを形作っている。そのため、時に超常の神として描かれることもあれば、人間の王や魔術師のように描かれることもある。

 また、この神の崇拝はトルテカ時代の内に他の地域にも広まっていて、メキシコ南東部やユカタン半島のマヤ人にはククルカン、グァテマラ高地のキチェ族にはグクマッツと呼ばれた。キチェ族の歴史書『ポポル・ヴフ』ではグクマッツとは別にトヒールという神がケツァルコアトルと同一視され、トヒールが自身のキチェ族に火を与えたという事績が、ケツァルコアトルが人間に火を与えた逸話として紹介されることがある。

 さて、アステカのケツァルコアトル神は、水と豊穣の神であると同時に、風の神エエカトルの別側面でもある。『クアウティトラン年代記』などによれば、彼の顔は怪物の如く醜く、臣下の前に出ることを嫌がった。そこで、テスカトリポカらの計略で羽根細工師のコヨトリナワルが送り込まれ、彼を美しく装って人前に出させたとされる。

 『絵によるメキシコ人の歴史』『太陽の伝説』などに描かれるアステカの創世神話によれば、十三層ある天上界の最上層で、両性具有の創造神オメテオトルが四柱の子供──順に赤いテスカトリポカ(狩りと戦いの神ミシュコアトルの別名)、黒いテスカトリポカ、ケツァルコアトルウィツィロポチトリを設けた。この兄弟神が世界や人間、暦などを創るのだが、黒いテスカトリポカの統治する最初の「土の太陽」の時代はケツァルコアトルの棒の一突きを受けてジャガーに姿を変えた統治者自身によって滅亡、ケツァルコアトルが統治する「風の太陽」の時代はテスカトリポカのせいで滅亡、雨の神トラロックが統治する「雨の太陽」の時代はケツァルコアトルが降らせた火の雨によって滅亡、トラロックの妻であるチャルチウトリクェが統治する「水の太陽」の時代は大洪水で滅亡する。こうして四つの世界が破壊された後、テスカトリポカら四柱に、さらに加わった別の四柱が力を合わせて新世界を創造。そして、ケツァルコアトルは髑髏頭の冥界神ミクトランテクトリの支配する地下世界ミクトランから、地上に改めて住まわせるべく前時代の人間の骨を持ち帰る。現在の人間の世界は、この五番目の世界なのである。

 時に対立し、時に協力するケツァルコアトルとテスカトリポカだが、決定的な決裂が『フィレンツェ絵文書』『クアウティトラン年代記』などに描かれる。都市トゥーラの祭司王となり、鳥と蝶のみを生贄に捧げていたケツァルコアトルは、かねて人間の生贄を主張する魔術師テスカトリポカの一派と対立していた。ある時、ケツァルコアトルが病で倒れると、テスカトリポカは小柄な老人に変身して寝所に潜入し、薬と偽ってご禁制のプルケ(リュウゼツランの樹液を発酵させた酒)を病人に与えた。酔ったケツァルコアトルは姉のケツァルペトラトルにも酒を勧め、泥酔の果てに近親相姦の罪を犯してしまう。正気に戻り、己の行いを恥じたケツァルコアトルは、王位を降りると一部の忠実な人々を引き連れてトゥーラから去るのだった。流亡の神のその後については、いくつかの物語が知られている。『クアウティトラン年代記』では、焼身自殺を遂げたケツァルコアトルの心臓が金星の神トラウィスカルパンテクトリになり、時に人間を投げ矢(光線?)で人間を傷つけたり、地上に旱魃をもたらしたりするのだという。