30レベル解析編:おまけ
D&Dを考えるに、D&D〜AD&D2eまでは、デザイナーが指向したような中世暗黒時代の近接戦闘だといえる。
ルール無用。斬りつけ、ぶん殴り、蹴っ飛ばし、相手が倒れたら顔面に蹴りを入れ、動きが鈍ったら首を切る戦い。
日本で言えば戦国時代の戦法だ。習いおぼえた技でとにかく敵を殺すことが重要な戦いだ。
したがって、ルールは多種多様にわたり、互いに矛盾を含みあう錯綜したものとなる。
それが良いか悪いかは別として、2eまではそんな感じ(1e〜2eでルール整理は進んだけどね)。
そして3e。
これは今までの暗黒時代の戦闘ではない。競技として整理され始めた時代の戦闘だ。たとえばランスで騎手を突き落とす馬上槍試合や、エペやフルーレを持っての貴族の決闘に近い。
ルールはこと細かく整理整頓され、ルールに書かれていないことは“ルール違反なので出来ない”とされるようになる。
日本で言えば、戦国時代が終わって剣術の時代に入ったころに近い。それぞれの流派が自分でルールを決め、その枠内で戦う時代だ。数を頼んだり暗殺をやる奴はいたが、決して広言できなくなった。
ルールがぶつかり合うことはなく、安心してプレイすることが出来るようになった。
では4eは何か?
私の考えるところ、4eはスポーツだ。
現代のスポーツ・チャンバラとは言わないまでも、剣道や柔道に近いだろう。
互いに本気で殺しあうのではなく、競技として、互いに楽しむためのツールだ。
敵を(ルール的に)殺すことに意味はあるだろうか? どんな嫌な設定を持ったNPCも適当な儀式があれば復活できる。
そのようなシステムなのだから、DMが一言『死にました』といえば良いのではないだろうか?
見方を変えて、ヒット・ポイントの量は戦法を試すことが出来る猶予時間と考えたらどうだろう?
戦法を全て出し終わった、もしくは封ぜられた段階でこの猶予時間は要らないものとなる。
だったら短縮しても良いだろう。
D&Dとはゲームであるので、囲碁将棋(チェス)と同様に投了の機会を与えるのは正しいと思う。
これが私のD&D4eに対する取り組み方であり、現時点での結論。
結論は変化する可能性もあるが、革新的な変化がない限り取り組み方は変わらないだろうな…
みんな、勇気をもって“作業”は打ち切れ。それがgdgdを解消する唯一の手段だ。
こっからは話し月っ豕ぎって鯛足烏賊の愚痴だよぉ〜〜〜 ・・・( ^ω^)
良い子は読んじゃいけないよぉ〜〜〜 ・・・( ^ω^)
反転色はスルーしてねぇ〜〜〜 ・・・( ^ω^)
余計なコメントいらないよ〜〜〜 ・・・( ^ω^)?
人に読ませたくはないが口にしたくなるタイプの独り言。
4eを否定している3.xeプレイヤーがいる。
私は彼らを見て、江戸や明 治の平和な時代が来た時、剣術が不要となった時代に適応できず、零落していった剣豪たちを思い出す。
彼らは撃剣興行などの見世 物小屋で己の技を見せ、小銭を稼いで生きていたという。
実戦(3.xe)では無類の強さを発揮するが、道場で竹刀で叩き合うこと(4e)は不得手な者もいたという。
彼らのほとんどは時代の変化についていけなかった…。
Pathfinder は見世 物小屋かもなぁ…。
ゲームだから時代の変化に適応する必要は無いんだけどね (^ω^)
An unnecessary comment is unnecessary. ・・・( @ω@)?
Ignore a reversal color. ・・・( @ω@)
Good children aren't to read it. ・・・( @ω@)
とりあえず私は、 Pathfinder は正式版が出るまで待ちの姿勢です。